エンゲル係数をめぐって:統計学的比率の理論から
山田満(Marxstat) 2025年2月21日稿
はじめに
食料品価格の高騰にともない、家計の消費支出に占める食糧費の割合(比率)を示すエンゲル係数の上昇が政治的経済的な話題となっている(2025年初頭現在)。エンゲル係数の上昇が話題となるのは、2019年に当時の安倍首相が国会で野党の追及を逃れるために「エンゲル係数の上昇は、物価変動の他、食生活や生活スタイルの変化が含まれている」と答弁し、その上昇を深刻な問題として受け取らないという見解を示したとき以来のことである。2019年には、『家計調査』の担当官庁である総務省統計局から、非公式的な「個人的」研究報告として「修正エンゲル係数」なるものが提示されたこともあり(注記)、エンゲル係数の上昇をめぐる論議が混乱した。本稿の作成目的は、統計比率に関する統計学の基本理論にさかのぼり、そのような無用な混乱が起きないように注意を喚起することである。
注記:「職員によって行われた研究の成果、研究試論等をとりまとめたものです。論文の中で示された内容や意見等については、機関の公式見解を示すものではありません。」と標記されている。
統計比率の基本理論(1)基本公式
統計比率は、基準量 A と比較量 B との間の数量的な関係を示す指標であり、比較量 B の値の大きさを基準値 A の大きさとの比較で評価しようとするものである。算術式的には、通常、 B/A という式で計算されが、その際、基準量 A は、必ず ゼロより大きい値( 0 < )でなければならない。したがって、データ解析にあたっては、簡易計算の場合を除いて、必ず、if …,then.. 構文を使って基準量 A の値がゼロ以下(0=>)のケースを除去して計算するようプログラミングしなければならない(追記:その際に、基準量 A の値がゼロ以下の数の場合の処理方法を決めなければならない;na を返すか、空欄を返すかなど)
統計比率の基本理論(2)種類
統計比率には、動態比率と静態比率があるが、ここでは静態比率のみをとりあげる。
静態比率には、構成比率と対立比率があり、この二つを混同してはならない。
構成比率は、比較量 B の大きさを、その B を構成部分として含む全体(基準量 A )の大きさとの比較で評価する値である。換言すれば、全体(基準量 A)に占めるその構成部分(比較量 B)の大きさを比率として示したものである。その際、比較量 B は、必ず、A=>B でなくてはならない(追記:B の全ては A に含まれなくてはならない)。
対立比率は、比較量 B の大きさを、基準量 A の大きさに対して、相対的に評価する値であり、基準量 A と基準量 B とは、構成比率のような包含関係にはない(追記:比較量 B の一部分が基準量 A に含まれるような場合は、対立比率である)。また、両者が同じ単位系(測量系)に属する必要はない(例えば、人口密度:人数 / 面積、人口1人あたりGDP:GDP/人口)。
追記:1人あたりGDPは、慣習的に「1人あたり平均」と記されることがあるが、統計学的には統計的中間媒介項(統計的代表値)の一つとしての算術平均値 average ではなく、対立比率である。。
エンゲル係数の統計比率としての性格:構成比率
エンゲル係数は、食糧費支出(比較量 B)が消費支出(基準量 A)に占めるの割合として計算される構成比率である。
いわゆる「修正エンゲル係数」の統計比率としての性格:対立比率
1992年の諸論議のなかで、「修正エンゲル係数」なるものがエンゲル係数を再考するものとして提示された。この修正エンゲル係数の計算式は、計算式の分母となる基準量 A を消費支出ではなく、可処分所得に置き換えるものであった。そして、この可処分所得に比べた場合、食糧費支出の割合はエンゲル係数が示すような上昇(急上昇)は示していないという結果が示された。
本稿で問題としようとするのは、統計比率の理論からみた場合に、この修正係数を理論的にどう評価するかということである。
先に示したようにエンゲル係数の統計比率的性格は構成比率であったが、この「修正エンゲル係数」の場合は、どうか。可処分所得というのは、ゼロにもマイナスの値になることもある金額であり、食糧費がその一部として支出されることもあれば、食糧費支出が可処分所得を上回ることもある金額である。修正エンゲル係数の比率計算の分母(基準量)となる可処分所得と分子(比較量)となる食糧費支出は、全体とその構成部分という関係ではないのである。統計比率の理論から見れば、「修正エンゲル係数」は対立比率なのである。
平均消費性向、貯蓄率との関係
社会経済分析を行う際に、指標として平均消費性向(あるいは消費関数)、貯蓄率が用いられることがあるが、これらの指標は通常、可処分所得を分母として計算される。これらの指標は、可処分所得のうちどれくらいの割合が消費支出に向けられているか、どれくらいが貯蓄に向けられているかを計算し、可処分所得の増減がどう社会経済に影響(効果)を及ぼすか、及ぼさないかを見ようとするのである。「修正エンゲル係数」というのは、それが社会経済分析の有用な分析指標となるとしても、こちらの(消費性向や貯蓄性向の分析の)の系譜に属する指標であって、エンゲル係数の系譜に属する指標ではないのである。分析の系譜(分析の水準・座標系)が異なるものを、同じ「エンゲル係数」と名づけるのは、論議を混乱させ、分析を誤らせ、現状認識を誤らせる可能性があるものである。概念の混乱(分析座標系の混乱)は論義を逸らすのみでなく、誤認の元ともなるのである。
分析の座標系を厳格に区分し、議論の混乱がない分析を
我々がいましなければならないのは、可処分所得の増減が、どのように消費支出や貯蓄の増減に関連するのかという分析水準(座標系)と消費支出に占める食糧費支出の割合(エンゲル係数)がどう変化しているのかという分析水準(座標系)とを厳格に区分し、それぞれの分析水準の上で厳密に分析した上で、両者がどのように(システマチックにであれ、偶発的にであれ)関連するのかを厳密に分析することである。異なる座標系に属し、それぞれ異なるロジックで動くものを同一の論理空間(座標空間)に投影し、同一の座標軸をもつ数理モデル上の諸変数として取り扱い、ゴチャゴチャにして分析してはいけないのである。