Marxstat

  蜷川統計学 マルクス主義

マルクス主義の革新とグローバル・サウス

2025-04-21 15:45:33
2025-12-08 16:19:16
目次

この論考は1981年春、ある大学の学生新聞に掲載(依頼原稿)されたものです。その後、世界の資本主義・帝国主義体制は大きく形態変容し(いわゆるグローバル化、金融資本主義化、ネオリベラル化)、いわゆる「第二世界」は解体し、「第三世界」と言う言葉は意味を失い、「グローバル・サウス」と言う言葉が提起されています。しかし、基本的な構造は変化していないものと思い、ここに掲載することにしました。なお、掲載にあたり、一部、文章表現を変えたところ、欧文用語の追加等を行いましたが、ほぼ原文のままとした。

{追記]1980年代以降の資本主義の変容については、資本循環( M —C —(P) —C’ —M’ )のなかから M — M’ 循環が相対的に自律化し、資本循環(いわゆる「実体経済」)の運動に上から覆い被さり、「実体経済」と相互作用しつつ自律的に運動するようになった、と言うことができるが、こうした事態を「疎外」や「物神性」といったマルクス主義の伝統的な観念(イデオロギー)によって説明することにとどまってはならないだろう。「疎外」や「物神性」というイデオロギー的観念は問題の所在を指示するものであるが、分析的な概念装置(科学的概念)ではないのである。必要なことは、(世界)資本主義において、M — M’ 循環と「実体経済」がどのように組み合い、どのような様式で分節化( articulation )されつつ運動しているのかを分析しうる科学的な概念装置を具体的な状況分析のなかで鍛え上げていくことであろう。支配因としての M — M’ 循環、最終審としての「実体経済」、、、、。

なお、本稿と関連して、Monthly Review, March 2025 (Volume 76, Number 10) に掲載された
Arghiri Emmanuel and Unequal Exchange: Past, Present, and Future Relevance by Torkil Lauesen
を参照願いたい。
また、宮崎義一の『世界経済をどう見るか』(岩波新書)、『複合不況』(中公新書),
そして スーザン・ストレンジ『マッド・マネー カジノ資本主義の現段階』(岩波現代文庫)は、問題の所在を再度確認するために、今日、もう一度、読み返されるべきであろう。。

マルクス主義の革新と第三世界

山田満(Marxstat ) 1981年3月17日脱稿、1981年4月16日号に掲載

[I]
1960年代後半がマルクス主義の科学と哲学にとって一つの切断点であったことは今、ようやく認識されつつある。この切断の基礎に、アルチュセールとその共同研究者たちの諸仕事があったことは、日本でも認識されてよい。マルクス主義の《解放の科学》としての、数学や物理学と全く同じ資格で科学と呼びうる《歴史(階級闘争)の科学》としての、理論的可能性を明確に認識させてくれたのは彼ら以外ではなかったからだ。
ところで、この理論的可能性の認識は、60年代後期反帝·階級闘争の経験とあいまって、従来のマルクス主義の諸理論のみならず、マルクス『資本論』やレーニン『帝国主義論』さえも問いに付さざるを得ない立場にわれわれを追い込んでいる。本稿では、この切断が帝国主義の認識にどのような問題をなげかけているのかについて考えることにしたい。

[ II ]
マルクス主義の歴史においてレーニン『帝国主義論』の占める位置は決定的である。だが、このレーニンの帝国主義論には、これまでも種々の疑問が提示されてきた。しかし、その限界が理論的·政治的に明確に認識され始めるのは、インドシナ解放闘争を頂点とした60年代後半の植民地·従属諸国における国際反帝闘争のなかにおいてあった。では、そのどこに限界があるというのか。
端的に言えば、レーニンの帝国主義認識には、植民地·従属諸国の反帝·階級闘争の認識が欠落しているのである。レーニンの理論は、発達した資本制社会編成体での独占資本の形成と資本輸出の広範な展開との携行的必然性の認識を基礎に、帝国主義本国による植民地·従属諸国の分割ー再分割をめぐる闘争(帝国主義戦争)の傾向的必然性を不均等発展の法則を軸に解き、この闘争の過程が、最も弱い帝国主義諸国に帝国主義世界体系の全矛盾を集中させ( surdéterminée;  overdetermined)、そこでのプロレタリア革命を不可避的なものにする、という論理のもとに組み立てられており、この論理のなかでは植民地・従属諸国はたんなる《従属変数》として扱われるに過ぎないのである。そして、この論理の政治的帰結としては、徹底した「先進国」中心主義をもたらさずを得なかったのである。
第二次世界大戦後、とりわけ60年代後期反帝闘争の経験が解体したのは、このレーニンの認識である。この経験は、(1)植民地·従属諸国を《従属変数》として扱うことはできないこと、(2)反帝闘争のなかで独立した諸国での新しい形態の帝国主義搾取·抑圧(新植民地主義)の存続、を明らかにしたのである。

[ III ]
さて、この経験を理論的認識へと変形する作業は、60年代後半に始まった。問題は二つある。第一に、帝國主義本国と植民地·従属諸国間の関係を理論的問題として設定すること、第二に、植民地·従属諸国における反帝·階級闘争を理論的に把握しうる諸概念を練りあげること、である。第一の問題は、A.G.フランク、A.エマニュエル、I.ウォラスティンら《マンスリー·レビュー学派》と俗称される人々を中心に、第二の問題は。P.P.レイ、C.メイアスー、J.G.テイラーら《アルチュセール学派》と呼ばれる人々を中心に取り上げられてきた。そして、この両問題を接合する地点にS.アミン、C.パロワがいる。以下、彼らがどのように問題を設定し、解こうとしているのかを概観しよう。

[ IV ]
フランクらは、世界を中心部と周辺部(ウォラステインは、これに半周辺部を付け加える)からなる単一のシステムとして捉えることから問題を出発させる。中心部(帝国主義諸本国)と周辺部(植民地·従属諸国)との相互規定関係が第一義的な理論的対象であり、一国的状況の認識はその一環としてのみ可能である。この世界システムの基本構造は周辺部から中心部への余剰(余剰労働)の移転(搾取·収奪)の機構から成る。この余剰の一方的移転が中心部に《過剰発展》をもたらし、周辺部に《低開発の発展》をもたらす帝国主義的国際分業体制を拡大再生産していく。そして、この構造が中心部労働者階級を労働貴族化し、社民化させ、他方で周辺部労働者階級·小農民を貧困化させ、革命化するとともに、周辺部ブルジョアを中心部ブルジョアに従属させる。だから、社会主義革命は常に周辺部労農人民の団結した力(民族ブルジョアは問題とならない)に依拠し開始され、この世界システムを解体していくだろう。

[ V ]
他方、レイやテイラーは、「周辺部」の諸社会が資本制生産様式の浸透によってどのように変形され、制限された不均衡な再生産構造をもつ植民地的資本制社会編成体へと移行するのかを解明する。この「周辺部資本制社会編成体への移行の理論」は、資本制様式は西欧や日本のような封建制社会の体内からのみ形成され、封建制以外の諸様式が支配している諸社会からは内的動力学としては形成されない、という理論的認識のうえに成り立つ。したがって問題は、周辺部でのこの移行の独自性を解明することである。
周辺部でのこの移行は、「外部」からの資本制様式の浸透によって開始される。この浸透は、中心部資本制社会編成体の発展過程に応じて重商主義的·商品輸出的·帝国主義的という諸形態をとるが、周辺部資本制への移行を決定づけるのは帝国主義的(資本輸出的)浸透である。なぜなら、重商主義的·商品輸出的諸形態の場合、むしろ周辺部社会で支配的な先資本制諸様式を強化するか、その制限された変形をもたらすだけか、になるからである。一般に帝国主義的浸透のみが直接的生産者からの生産諸手段の分離(プロレタリア化;マルクスが言うところの絶対的貧困化;労働力の商品化と領域的労働市場の成立)を達成し、資本制様式を確立する。この帝国主義的浸透は、政治的帝国主義と経済的帝国主義との二段階に分かれ、前者は直接的政治支配の下で資本制様式の確立の諸条件が強制的に創出される段階(レーニンが規定する帝国主義の段階)で、後者は資本制がすでに支配的となり直接的な政治支配を必要としない新植民地主義的段階である。こうした前移行期-移行期を経て、周辺部社会編成体は形成される。この移行の諸過程を資本制様式と先資本制様式との分節化(articulation)の諸形態の展開過程(これは階級闘争・階級同盟・反帝闘争の諸形態の展開過程そのものである)として把握するのが、レイやテイラーの仕事なのである。そして、その政治的含蓄は「周辺部資本制への移行か共産制への移行か」が周辺部階級闘争・反帝闘争に賭けられていること、その闘争勢力として労働者階級とともに小農民階級の、場合によっては民族ブルジョアの、決定的力が強調されること、であろう。

[ VI ]
以上、60年代後半以降に提示された帝国主義に関する新しい諸理論の一班を紹介した。この新しい諸理論が帝国主義論の枠を越え、従来のマルクス主義の理論と政治にとってどういう意味を有しているのかの判断は読者にゆだねよう。なお、アミン、パロワ、B.ウォレンについては論じることができなかった。

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