本稿は,経済統計学会 政府統計研究部会「ニュースレター No.11」2010年4日28日発行,9 -15頁 に掲載されたものである。ウェブ掲載にあたって文章表現上の不具合を一部訂正した)
米国2010年人口センサスについて
山田 満
はじめに:国民の祝祭としてのセンサス
2010年1月25日,センサス局長のロバート・グローブは,北西アラスカの人口600人余りのエスキモー集落ノールヴィックに犬ぞりで乗り込み,クリフトン・ジャクソンさん(89歳)宅を訪れ,2010年人口センサスの最初の1人を数え上げた。2010年センサス(The Twenty Ten Census)の開始のセレモニーである。それから約1週間かけてアラスカ辺境地域の217のコミュニティーに良く訓練されたセンサス調査員が展開し,全世帯を戸別訪問調査し,全住民を数え上げた。4月のセンサス・デイを待っていては,雪解けで地域への交通アクセスが困難となり,しかも,住民たちは狩りに出かけてしまうからだ。これに先立って,1月1日には,センサス宣伝・カー ”Mail it Back”号に乗った一行が意気揚々と全米各地を4ヶ月にわたって巡る旅に出発していった。
こうして,2010年センサスは幕を開けた。米国の人口センサスは,10年に一度の国家をあげた最大の平和時のセレモニーであり,祭りに反対する者たちとの侃々諤々の議論や時に起きる乱闘騒ぎも含めて,米国という国とそこに住む者たちが自分(たち)の存在をアッピールし合い,米国的な民主主義とは何かを互いに確認し合い,そのなかで米国への忠誠心を互いに誓い合い,拡大する多様性と分裂のなかで米国というネーションの一体感(凝集性)を高めながら,次の十年に向けて,米国の現状(自己像)を確認し合う場なのである。(国籍 Nationalityによってではなく,市民権 Citizenship あるいは永住権取得ということによってネーションの一員となる米国のような国のネーション形成は特別である。)
センサスの実施に積極だったクリントン大統領の下で実質的に企画・実行された2000年センサスに比べ,センサスに対する消極姿勢が目立ったブッシュ(ブッシュ jr.)大統領の下で準備が進んだ2010年センサスは,惨憺たる結果に終わるだろうという予感のなかで準備が進んだが,2009年1月に就任したオバマ大統領により新しくセンサス局長に指名されたミシガン大学 社会調査研究所 調査研究センターのロバート・グローブの指揮の下,折からの不況対策(雇用対策)による財政出動も追い風となり,2000年センサスの活気には遠く及ばないが,ようやく祭りの気分も高まってきた。
こうしたなかで,3月に入って,調査への協力依頼のメールが送付され,3月の中旬には,遅くも4月9日までに記入し返送するよう求めた郵送調査分(約1億2千万世帯)の調査票が,「回答は法律によって求められている」と大きく印刷された封筒に入れられて各世帯へ郵送配布され,本格的な実査が開始された(その後,アドレス・リストの不備が多くのコミュニティーから指摘され,さらに160万世帯に調査票が追加発送された)。郵送配布とは別に,3月1日からは,住居情報が不備で郵送配布が確実でない辺境地域や2005年9月にハリケーン・カトリーナに襲われたニューオーリンズなどの地域(いまだに住民が何人いるのか全く分からない状態だ)の約1200万世帯(住居単位)に対して,センサス調査員による戸別訪問が行われ,調査票が直接に配布され,郵送で返送するよう求められた。3月末の数日にはホームレスや各種救済施設に一時的に住まう人や新規に流入してきた移民など数え上げが特に難しい人々が多く住む地域に対しては,センサス調査員やボランティアのクルーが街頭に出て,各地域に面で展開し,公園,街路,無料食事配給所などで簡易調査票による面接調査を行うと同時に,面接時に可能な限り住所情報を確認し,住民に(正式な)調査票を手渡し,記入しポストに入れるよう求めた。この他,3月中旬からはトレーダーハウスなど移動体住居に住まう人々に対する訪問面接調査(約1ヶ月),辺境のインディアン居住地や郵便事情が良いとは言えない辺境地域に対する訪問面接調査(約2ヶ月)が実施された(実施される)。調査票が全ての人に手渡るよう,市庁舎,図書館,ショッピングセンターなど,数え上げが困難な人々が集まりそうな場所には,調査票が積み上げ置かれた。
郵送配布に先立って,1月13日からは13,300万ドルの費用をかけ広報活動も開始され,各世帯にはセンサス局から調査協力依頼の手紙が送られただけでなく,センサス局とパートナーシップ契約を結んだ各種のコミュニティー団体の活動家による戸別訪問やデモンストレーションが行われ,センサスへの協力依頼が行われた。また,オバマ大統領夫妻が小学校を訪れ,センサスの重要性を子供達に講義するというパフォーマンスもあった(各教育機関の求めに応じ,教育機関との間でもパートナーシップ契約が結ばれた)。
並行して,今回から「郵送返送率(mail-back response rate)」に代わって「センサス参加率」(送付メール総数から宛先不明で戻ってきた数を引いた値を分母としたメール返送率で,2000年センサスにおける Mail-back return ratio に近い概念)という概念が設けられ,3月24日から各コミュニティー(データの地域最小単位は調査区)ごとに毎日の参加率のデータがセンサス局のウェブサイトの地図上で確認できる仕組みが作られ,コミュニティー活動家たちへの便宜が図られた。これは,センサス・パートナー企業であるグーグルとの共同作業によるものであった(グーグル・マップ及びアース上で毎日,各コミュニティーの参加率が全国と対比しつつ鳥瞰できる)。
4月10日前後からは,前回の2000年センサスで回収率(response rate)が59%以下だった地域の全世帯(約2470万世帯)に対して,また,前回の返送率が59%から67%(=前回の回収率の平均値は67%だった)の地域については,まだ返送していない世帯(約1500万世帯)に対して,調査票の再送付が行われ,4月16日までに返送するよう重ねて要請された。また,兵舎,寄宿舎や刑務所などグループ・クウォーターズに対する調査も, 約1ヶ月の予定で開始され,individual Census Report という名称の調査票を配布し記入を求めた。4月10日には,全米各地の参加率の低い約6000の地域で,センサス・パートナーのボランティアのコミュニティー活動家たちが街路を行進し,出店を開きセンサスへの参加(mail-back)を呼びかけた。
さらに,今後,5月1日から7月中旬にかけては,郵送で調査票を返送しなかった全ての世帯に対して,調査員が訪問面接調査を行うフォローアップ調査が実施され,回答が得られるまで,6回訪問される予定である。(それでも調査票を回収できない場合は,近隣情報によるサブスティチューションによって調査票の回答を埋めることになる。)
また,4月中旬から4ヶ月かけては,カバレッジ・フォローアップが実施され,返送された調査票の回答が審査され,無回答項目や論理的不整合や疑問のある回答項目について電話あるいは直接訪問による問い合わせ(再調査)が行われる予定である。それでも埋めることのできない回答の欠落については,大部分がコンピューターで統計的に処理されるインピュテーションによって回答が埋められることになる。(なお,2000年センサスでは商務省の意向で「やむを得ず」実施された,電子的オンラインによる調査はセキュリティの問題が解決されないこと,実施してもコスト削減効果は見込めず,センサス参加率の向上にも寄与しないという試験調査の結果を受け,取りやめとなった)
こうして,米国センサスは,途方もなく多様な仕方で米国に住まう人々を,およそ考え得る全ての手段を駆使して,長い時間をかけて徹底的に数え上げていく。「数え上げられない」ということは,米国においては,国によって「見捨てられ,存在を否定された存在」となることを意味するのである。ここでは「数え上げる」のは国家の義務であり,「数え上げられる」のは住民の権利なのである。なぜなら,憲法の規定により,センサスの人口数によって各州への下院議員数の配分が決まり(2000年センサスでは,わずか5万人の差で,明暗を分けた),各州はセンサスの調査区別人口数によって小選挙区の区割りを公正に行わなければならないからだ。公正な区割りとは,かつて横行していたような,特定の人種・社会集団に有利となるような区割りを行ってはならないということであり,センサスで把握される小地域区分の人種別・民俗別人口数は不正な区割りが行われてないかを検証するデータともなるのだ。また,センサスで把握された人口数に基づいて,連邦補助金(直近の数字を見ると,2008年度は4,467億ドル,2007年度は3,768億ドル)の各州,そして各コミュニティー(地方行政単位)への配分額が決められることになっており,そしてさらにアファーマティブ・アクション(積極的差別是正策)など人種間や男女間の実質的な機会均等性の維持のための諸施策がセンサスの人口数に基づいて行われるのである。行政の諸施策がきちんとしたデータに基づいて公正に行われているかどうかを決める土台となる数字をセンサスが提供しているのである。
以下,2010年センサスの2000年センサスと比べたときの特徴を簡単に記しておきたい。
ショート・フォームだけの調査
ロング・フォーム調査がアメリカン・コミュニティー調査(ACS)という名称のローリング・センサスに移行したため,2010年センサスは,ショート・フォームだけの調査となった。ACSについては既に森博美会員が紹介しているように,約10年にわたる試験調査期間を経て,2006年1月から正式に運用が開始された。ACSはコミュニティー・レベルでの集計(推計)が可能なようにサンプル設計がなされており(この点が,Current Population Survey[CPS]との大きな違いである),毎月,ローテーションに基づいて全米各地を巡回しながら調査を行い,1年分,3年分,5年分のデータを合算したデータ(combined data)に基づく集計が行われる。1年分データでは,6万5千人以上の地域,3年分合算データでは,2万人以上の地域,5年分合算データでは,2万人以下を含めた全ての地域(センサス調査区および基本単位区グループのレベル)の集計(推計)が可能になる。今年(2010年)には,2005年から2009年の5年分合算データに基づいた初めての5年合算データが公表される予定となっており,また,2006年から2010年の5年分合算の結果が2011年には公表される予定となっている。すでに,米国の高等学校を始め教育現場では,ACSに基づいた社会科・情報分析の教育が行われ始めており,ACSに基づく米国社会の分析も本格化しようとしている。他方,ショートフォームだけの調査となったセンサス本体は,米国憲法と公民権関連法規に基づいた米国民主主義の基盤を支えるデータ提供機能に限定されると同時に,ACSをはじめ他の統計調査への母集団フレーム提供機能としての役割を担わされることとなった。
住所情報検証・更新調査とGPS騒動
センサスに母集団情報提供機能を担わすことは,調査票の郵送と未返送世帯へのフォローアップ調査の円滑な実施に不可欠な住所・地理情報ファイル(マスター・アドレス・ファイル MAF)の重要度を高めることであり,その結果,MAF自体がセンサス本体とは別の独立性を持つ存在になることである。
2000年センサスでは,郵便公社(郵便庁 US mail)の郵便配達用アドレス情報(住所リストと住所地図)を土台としてアップデートしたMAFを用いたが,2010年センサスでは,より統計調査に合目的で正確なアドレス情報ファイルを統計調査情報地理情報システムTIGERとの連携のなかで整備するため,センサス前年の2009年4月6日から7月19日までの予定で,約14万人のListersと呼ばれるセンサス調査員を動員し「アドレス確認のための悉皆戸口訪問(Address Canvassing)」と呼ばれる全国悉皆調査を実施した。このセンサスに先行するセンサスとも呼べる「アドレス確認悉皆戸口訪問」は,住居の確認ができれば居住者と必ずしも面談する必要はないものの,全国の全世帯(約1億4500万住居単位)を表敬訪問し,既存の住所リストと住居地図を検証・削除・追加し,MAFを更新することを目的とすると称するものであった。
しかし,実は,それだけではなかったことが問題となった。Listersが携帯するGPS機能付きハンドヘルド・コンピューターによって各住居のGPS位置情報を取得し,MAFに電子的に記録するという重要な目的があったからである。
GPS位置情報の取得は,住所リストの重複や漏れを検出する際に役に立つだけでなく,未返送世帯を訪問面接調査するカバレッジ・フォローアップ調査時に,調査員(Census Takers)が未返送世帯を電子地図上に探しだし,その住居を確認するのに非常に役立つことは想像に難くないが,それは調査のし易さや正確性を確保し,結果として調査費用を削減するということだけに留まらない潜在的な可能性(あるいは危険性)を孕んでいるのである。そうした危険性を察知することに関しては超一流のティー・パティー派と呼ばれる共和党系の(感情的な)草の根保守や(理知的な)リバタリアンたちが,住所確認悉皆戸口訪問調査に抗議し,猛烈に騒ぎ出したのである(これに絡んで,9月には,猟奇的な殺人事件も起きた)。彼らの扇情的で扇動的な主張は,「連邦政府の手先どもが我らの戸口までやってきて,我らの様子を窺うだけでなく,我らの家のGPS情報を取得し,反対派の我らの家にピンポイントでミサイルを撃ち込む準備をしている」という荒唐無稽なもので,相手にするのもバカバカしいが,的を外してはいないのである。
センサス局は,センサスの結果に基づき行われる小選挙区の区画境界ラインの引き直し作業に大いに役立つだろうということ以外には,多くを語っていないが,GPS位置情報の取得は調査の利便性だけでなく,集計と表示の仕方に大きく絡んでくるからである。ピンポイントで撃ち込んでくるのは,ミサイルではなく,グーグル・アース(あるいはセンサス局のTIGERマッピングシステム)の地図上に撃ち込まれるドットなのである。例えば,GPSの位置情報に基づき,日系人が住まう住居を一つ一つグーグルのマップ上にドットとして撃ち込んでいくことができるし,ACS調査で把握された「貧困世帯」を一つ一つドットとして撃ち込むことができるのである。センサス調査区(トラクト)や基礎単位区(ブロック)を単位とした集計とは別次元での集計やマッピングが可能となるのである。
小地域集計の光と闇:コンフィデンシャリティーの危機
こうしたGPS騒動は,センサス局の最大の汚点の一つ,日系人収容問題の記憶と結びついている。第二次世界大戦時に,センサス局は陸軍省(Department of War)から戦争権限法に基づき1940年センサスの日系人についての個票データ(氏名と住所)の提供を求められたが,センサス局は,これを断る。センサス局は,2000年センサスの当初,これを センサスのConfidentiality(相互の信頼に依拠した機密保持性)の輝かしい証拠としてセンサス啓蒙パンフなどで喧伝したが,統計史を専門とする歴史家のマーゴ・アンダーセンらがこれに反論し,センサス局は,その代替品として調査単位区(ブロック)レベルでの集計データ(小地域集計データ)を提供し,戦時移住局(WRA)は,結局,このデータをもとに日系人の収容作業を進めたという事実を突きつけたのである。(付け加えておくが,マーゴらはセンサス調査に反対しているのでも,センサスの実行を妨害しようとしているのでもない。近代民主主義社会においては,信頼性という意味でのコンフィデンシャリティーの確保が統計作成のために不可欠だと言っているのである。)
実際,この日系人収容にセンサスの小地域データが用いられたという悪夢は,911NY攻撃の直後に正夢となった。2002年,国土安全保障省(税関・国境取締局)はアラブ系住民の所在(居住)情報の提供をセンサス局に求め,センサス局はアラブ系米国人に関する特別集計データ(小地域データ)を提供する(アラブ系人は人種的には白人と分類されるので,ショートフォーム調査では名前から推測する以外に出身地情報を得られないので,出生国や祖先の出自を聞く項目があるロングフォーム一部抽出調査の結果が用いられた)。2004年7月,「電子的プライバシー保護情報センター(EPIC)」は情報自由法(情報公開法)に基づき,その事実を明らかにし,センサス・データのコンフィデンシャリティーについて問題を提起した。センサス局はこれに抗弁したが,結局,センサス局長は謝罪に追い込まれ,センシティブなデータについての取り扱い規則を変更し,コンフィデンシャリティーを担保した上でのデータの提供についての新方針を打ち出すことになった。
本稿の筆者も,センサス局が提出した文書・電子データを全て入手したが,何よりも衝撃的であったことは,その多くが公式にセンサス局から提供される小地域データに基づくものであったことである。詳細な小地域データが小選挙区の区割り見直しや不正な区割り監視作業のために提供されるショートフォーム調査に比べ,ロングフォーム調査の結果は一部抽出調査からくる結果精度問題との絡みもあり,提供される集計の地域区分は粗いが,それでも住民の個体情報を十分に確率的に推測可能な情報が小地域情報として提供されていたのである。こうした一連の動きを,統計の(コンフィデンシャリティーの)危機と捉えたマーゴらは,2007年3月の米国人口学会年次総会で,1943年,センサス局は1940年センサスの個票データに基づいたワシントンD.C.在住の全ての日系人の氏名,住所,年齢,婚姻,市民権,職業を記載したリストをシークレット・サービス(大統領警護隊)に提供していた事実を明らかにし,統計のコンフィデンス(信頼性)の危機について問題を提起した。コンフィデンシャリティーは近代における統計の定義そのものに属しており,統計の作成と公表と利用をめぐるコンフィデンシャルな関係性を社会的・政治的空間のなかに構築し,それを制度的に保障することなしに,統計は近代社会において機能し得ないからである。
こうした事も背景にあり,2010年センサスでは,不法移民を中心にセンサス調査を忌避する感情が拡がった。これに対し,公民権運動の主流派的な活動家達はセンサスに回答することの意義と利点を強調し,センサスへの参加を呼びかけた。連邦下院議会のヒスパニック系議員連の議長は2009年9月に米国司法省に手紙を出し,2010年3月3日に,議会の承認なしには,パトリオット法(911NYテロを受けて制定された愛国法)のいかなる条文も2006年のセンサス法の条文に優先しないという司法省の公式見解を引き出し,センサスへの移民たちの恐怖感を和らげた。こうしたなかで,センサスの実査は開始されたのである。
自壊するワンナンバー・センサス構想
センサスの実査を一定段階で打ち切り,その結果を事後的な標本調査(正確性測定調査 CMP)の結果によって補正し,補正後の数値のみを公式結果とするという2000年センサスにおけるワンナンバー・センサス構想は,1999年の連邦裁判決によって違憲とされ,実行されなかったが,2010年センサスについては,オバマ大統領が,新センサス局長の議会での承認に先立つ2009年5月15日に「標本調査による結果の補正は行わない」という政治的決断を行ったことで,早々と決着が付いた。新センサス局長に就任したR.グローブは,2000年センサスの時にワンナンバー・センサスの導入に積極的な姿勢を示した学者の一人であったが,補正をしないことを条件に局長に就任したことになる。しかし,グローブは承認のための議会証言のなかで,センサス局の専門的(職業的)な独立性,政治的干渉からの独立性が統計のクレディビリティー確保のために必要だという趣旨の発言をしており,また,それに呼応するように2010年3月25日には,4人の連邦議会議員(上下院から各2名,民主・共和の各党から各2名)の共同提出でセンサス局の独立性を確保するためのセンサス改革法案が議会に提出され,同日,センサス局長経験者が法案を支持する共同声明を行うという出来事があり,ワンナンバー・センサスの今後(2020年以降)の行方は不透明である。(追記:この共同提案は最終的に議会への提出が見送られた)
しかし,補正に真っ向から反対する共和党側議員の反対による混乱を回避するためだけに,オバマの政治的決断が行われたと考えることは早計である。2000年センサスの際に行われた事後正確性測定調査(CMP)は,混乱を極め,その脆弱性を白日の下にさらしたからである。2000年センサスの実査の終了後に行われた数え上げ正確性評価 ACE(デモグラフィック分析[DA]法と事後正確性評価調査に基づくデュアルシステム推計[CMP-DSE]法の二つがある)のなかで,驚きを持って迎えられたことは,オーバーカウント(人口数の過剰な数え上げ)の予想外の大きさであり,2001年3月の報告書で公表されたDA法に基づく基礎推計では,全体としてオーバーカウント数がアンダーカウント数を上回り,0.65%のオーバーカウント(内訳の一部を記せば,黒人男性18歳以上は6.89%のアンダーカウント,非黒人男性18歳以上は0.98%のオーバーカウントと人種的,年齢的,地域的に非常に不均等である)となったのである。1970年センサス以降,人種的に不均等なアンダーカウント問題が政治的争点となり,アンダーカウント対策中心に動いてきた米国センサスであるが,その背後で不均等なオーバーカウントの問題が伏在していたのである(ちょうど2000年の4月のセンサス調査実施の期間中に引っ越しを行った当時のセンサス局長プレビットの母親が,自分は調査票に2回記入し,米国市民としての義務と権利を行使したと報道関係者に高らかに語るという話題もあった)。
しかし,ACEで問題となったのは,推計の仕方の違いによる評価の違いの大きさであった。2001年2月に公表されたDSE法に基づく推計では,1.18%[3,261,876人]のアンダーカウントとなっており,さらにDA法でも,別の推計法では0.32%のアンダーカウントとなっており,その評価方法による食い違いが2000年センサスを監視するため連邦議会に設けられたセンサス・モニタリング委員会(議会側)などで大きく取り上げられたのである(DA法に基づく推計値も2001年10月に 0.12%のアンダーカウント[黒人は2.78%のアンダーカウント,非黒人は0.29%のオーバーカウント]と訂正された)。そこで,ACEの推計のやり直しとなったのだが,2002年4月のDSE法による暫定的な再推計では0.06%のアンダーカウント(黒人では0.78%のアンダーカウント,非ヒスパニック系白人では0.33%のオーバーカウント)という結果となり,さらに混乱に拍車をかけた。そして,2003年3月のDSE法rev.2の推計では,0.49%(1,331,656人)のオーバーカウント(非ヒスパニック系白人は 1.13%[2,151千人]のオーバーカウント,非ヒスパニック系黒人は 1.84%[628千人]のアンダーカウント)というDA法による基礎推計結果に歩み寄った結果となったのである。それだけではない,さらに衝撃的な事実が判明したのである。センサス局はACE rev.2 プログラムのなかで重複チェックのため全ての個人データについてコンピューター・マッチングを行ったが,5,826,477件の重複が見つかったのである(集計段階で重複チェックは行うのであるが,チェックが甘かったという事だ)。これは,当初のACEプログラムで測定された200万件という数値に比べ,驚くほど大きな値であった。
このようにACEによる評価値(推計値)を巡る混乱を見ていると,法定人口数となる公表値の補正が,このような脆弱な根拠に基づいて行われたとすれば,大混乱を招き,センサス局への不信感を決定的なものとしたと思われる。ワンナンバー・センサスという構想は,非常に脆い基盤の上に成り立つ砂上の楼閣だと言われても仕方ないであろう。結局のところ,1999年の連邦裁のワンナンバー・センサス違憲判決は,正しい判断の下で行われたのではないだろうか。米国センサスにとって,必要なことは,AECによって得られた知見を踏まえつつ,地道な数え上げを徹底的に追求することであろう。そして,そうなってくると,そうしたなかで,争点は,数え上げの正確性の徹底性の追求とそれに伴う費用(コスト)の増大との関係の問題へと移行し,どこで折り合いを付けるかの問題となってこよう。そのための政治的な妥協点を探ることが課題となってくるのである。
オーバーカウント対策へ
2010年センサスの特徴は,オーバーカウント対策がアンダーカウント対策同様に,前面に押し出されてきたことである。そのことを象徴しているのが,調査票の設計である。ショートフォームだけとなった2010年センサスの調査票の一番の特徴は,「質問1」が始まる前に,調査票本体に,「調査対象となる全ての人を正しい場所で,1回だけカウントする」という原則の下に,数え漏れとなるケース,二重に数え上げられるケースに分けて,非常に分かりやすい注意書きが添えられていることである。(「正しい場所で,1回だけカウントする」は,2010年センサスの重要な標語の一つとなった)
調査票の第2の特徴は,個人に対する質問項目が2000年センサス比べ1つ増やされ,10項目となっていることである。2010年センサスでは,最後に,「あなたは,時々,他のとこで生活するか,あるいは滞在しますか」(回答選択肢には,別荘,学寮,兵舎や,刑務所などが設けられている)という質問項目が付け加えられており,重複チェックをしやすくしているのである。
このように,アンダーカウント対策に代わって,オーバーカウント対策が前面に出てきたことは,2010年センサスが,米国センサス史上の一つの転換点であることを示しているだろう。
おわりに:よくやったアメリカ
2000年センサスの実査は,2000年9月19日に,ミネタ商務長官(当時)の勝利宣言「よくやった,アメリカ」で終了したが,2010年センサスの実査は,これまでのところ,驚異的な成功を収めている。2010年4月23日に,センサス参加率(調査票の郵送返送状況を示す指標)が,2000年センサスと同率の72%を達成したのである。大方の予想では,60%台の後半だろうと考えられていたので,この数字の達成は驚異的であり,全米の報道機関は,この数字の達成を驚きを持って報道した。
このような驚異的な成功の要因は,2000年センサスの経験によく学んだことにあることは言うまでもないが,おそらく,次の要因によることが大きいと思われる。
第一に,連邦政府によるコミュニティーへの補助金の配分がセンサスにおける人口数に基づいて行われること,そして実際に,どのような分野に,どのような額の補助金が毎年,2000年センサスの結果に基づいて配分されたのかを分かりやすく具体的に示す広報活動が徹底的に行われたことである。センサスへの参加が,経済不況下で財政難に苦しむコミュニティーの利益になることを訴えたことは,各コミュニティーによるセンサスへの協力意識を高め,住民のセンサス参加意識を高めることにつながったと思われる。
第二に,調査票の返送が行われない場合には,面接他計式の訪問調査が行われることを強調し,その場合には1戸あたり平均57ドルかかり,郵便によるコストの0.42ドルに比べ非常に高価であること,センサス参加率を1%高めれば約8,500万ドル税金を節約できることを繰り返し訴えたことである。このことは,納税者意識が強く,税金を払うのは「必要悪」のように考え,常に減税を求める傾向が強い共和党支持の保守的な,そしてセンサスの実施に対して好意的でない住民のセンサス協力意識を高めるのに大きく貢献したと思われる。
このように,クリントン時代の2000年センサスが対決姿勢を前面に押し出し,諸議論を喚起することで大衆の関心を高めつつ,困難を突破していったのとは異なり,オバマ時代の2010年センサスは,反対派の感情や考えを巧みに取り込み,仲間とすることで,センサスを成功に導こうとしているように見える。激しい政治的対立に明け暮れたセンサスにとって,新しい時代が幕開けするのかもしれない。
(2010年4月5日;2011年12月ウェブ掲載に伴い文章表現を一部訂正)